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2025.2.1.

自主企画をやろうって決まったのは暑さが抜けきらなくて気持ち悪い気温が続いてた9月からだった。そっからもうずっと動き続けて、色々物事決めて、バンドを誘ったりして、そもそもの三節棍の知名度を上げるためにも、ライブし続けて。三節棍自主企画 ''三色同刻'' を、とうとう解禁することが出来た。なんかずっとこれのために動いてるようなもんだったから、発表は発表であまり実感が湧かない、でも何よりも嬉しいのは、俺らが作った企画で俺が大好きな人達に会えるってこと。これほどまでに幸せなことは無いし、今後こういう気持ちになるのはあんまりないと思う。

 

結成秘話、みたいなんはなんか恥ずいし、普通に臭いかなとか思ってたからあんま話せなかったけど、高一の時大斗が元々ドラムやってたところからギターボーカルやり始めて、サポートで俺がドラムで入り出したあたりからこんな日が作れるとは想像してなかったから、すげえ感慨深い。それに正直な話こんなに長く俺が三節棍のドラムとしてやるとも思ってなかった。元々サポートだったわけやし、JYOJI-ROCKっていう吉祥寺ROCK JOINT GBが主催してくれてるライブハウスの大会で優勝した時も、まだ俺はサポートだったし。けど、ここまで俺にサポートを託してくれた2人に、俺なりの恩返しをしたかったから、ほんまにあの時は嬉しかった。今でもずっと深く深く記憶に残り続けてるし、これからもずっと残り続けるんだと思う。色んなことがあったし、結局負けた大会とか、オーディションとかの方が当たり前に多かったけど、そんな2人と、まだ解禁はしてないけど今まで色んなライブハウスで戦ってきてる友達とか、お世話になった先輩とかを呼べるのが本当に幸せで。たまらなくみんなに感謝してる。本当にありがとう。その感謝の分、チケット代は全力で極限まで下げてる、みんなに目撃して欲しいから。

 

俺の音楽のルーツはC GATEっていう、姉ちゃんが好きなバンドから始まってた。メタル、ハードコアパンク系だけど、俺はその時音楽のジャンルとかよくわかんないし、何がかっこよくて何がダサいのか、自分の中の音楽は何も定まってなかったけど、とにかくデカイ音がかっこいいって感じたことだけ覚えてる。モッシュとかダイブはめっちゃ怖かったけど(笑)、でもなんか馬鹿みたいに突き抜けていく爆音、轟音っていうのがどこまでも連れて行ってくれるような気がして、ワクワク感(?)みたいなのがずっと抜けなかったのを覚えてる。中学ではバンドなんてやれる環境じゃなかったし、その頃は音楽ものめり込むほどすげえ好きなわけじゃなかったから、次第にそんな事忘れていってたけど、高校はバンドやりたくて軽音部入って、なんかあの頃の空気感を感じれてるような気がした。俺はめっちゃ飽き性だから、初めてこんなにものめり込むものが出来て、自分自身ほんと嬉しかった。だからこそ、2025.3.16 三節棍自主企画では、そういう意味でも色んな人の背中を押すっていうか、俺が初めてライブハウスで聞いたあの爆音の心のワクワク感を追体験して欲しいっていう気持ちがある。だからこそここにかけてる思いは比べ物にならないし、メンバーもみんな気合いが入ってる。だからこの大事な日に、色んな衝撃を受けて欲しい。初めて俺が、あのバンドのアルバムを聞いた時、全部始まってたんかもしれん。

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2024.12.19

Letiziaってバンドで初めてレコーディングした日、何回かレコーディング自体は経験したことあるけど、singleとはいえずっしり3曲撮るのは初めてだったから変な感覚だった。何回かやったことのあるレコーディングの中でも1番やり切った感があって、特にカイコのスネアがめっちゃいい音になってた。スネアのマイク1本しか立ててないのにすんげえ抜け感が良くて、このスネア愛用してて良かった。ってめっちゃ思った。

そのまま発表できずに年越し、本当はもっと早くに出したかったけど、申請とか手続きに諸々時間が取られて結局年始後でも年末年始はゆったりおばあちゃんと母さんと過ごせて、久々に休めたなーって安心した。

バンド発表してからはなんか変な感覚で、みんな見てくれてるのも嬉しいし、特に連絡くれる友達なんかもいて、バンドの始まりと一緒に曲出すことに決めてよかった〜ってなってた。ただ同時に期待されてんのかどうかもよく分からないから今は曲作ってた制作の期間からライブでやってどう伝わんのかがすげえ楽しみでもある。ドラムは変わらず本気で。